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札幌「すみれ」卒業カウントダウン特別号外【2018年12月2日卒業】

2018.11.22

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2018年12月2日(日)をもちまして、札幌「すみれ」がラー博を卒業することとなりました。
このページでは、創業からラー博卒業までの純連(すみれ)の歴史をはじめ、「すみれ」で発売中の全メニュー、すみれにまつわる様々な伝説をご紹介いたします。


創業からラー博卒業までの純連(すみれ)の歴史
「すみれ」で発売中の全メニュー
すみれにまつわる様々な伝説



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昭和39年に創業した、純連(すみれ)から、今回の卒業まで、幾度となくオープン、閉店、移転を繰り返してきた歴史を、当時の外観と共に振り返ります。札幌市内の移動だけでなく、ラー博内の動きも含めた、完全保存版の歴史年表です。
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昭和39年の開業当時は「純連」と書いて、「すみれ」と呼びました。しかし、看板に書いてあった「すみれ」というフリガナが、長年の雨風によって取れてしまい、本当の屋号を知らないお客様が、「じゅんれん」と呼ぶようになったのです。
その後、札幌屈指の人気店となった「純連(すみれ)」でしたが、昭和57年、突然店を閉めることになったのです。それは創業者の村中明子さんが股関節亜脱臼になり、これ以上続ける事が出来なくなったからなのです。
しかし、明子さんは諦めることができず、約1年間のブランクを経て「純連」を再開しました。この時、当時のお客様のほとんどが純連(じゅんれん)と呼んでいたため、「すみれ」とは呼ばず「じゅんれん」の屋号で再開することとなったのです。
その後、あとを継いだ長男の村中教愛さんが「純連(じゅんれん)」の名で店をオープン、三男の村中伸宜さんが「純連(すみれ)」の名で店をオープンしました。こうして明子さんが作り上げた味は2つの屋号で現在まで継承されているのです。


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「すみれ」には昔から、ある伝説がありました。その伝説とは「お客さんから逃げる店」。お客さんが増えると、行き先も告げずに急に店を閉め、また誰も知らないような場所で、ひっそりと店を再開する・・・。
これはあくまでも伝説であり、事実ではありません。
明子さんが一度店を閉めたこと、1年後に別の場所で再開したこと、その後、教愛さんが場所を移転し開業したこと等が重なり、「お客さんから逃げる店」という伝説が生まれたのです。このような伝説が生まれるという事自体「すみれ」がどれほどすごいお店なのかを裏付けているのです。

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■関連リンク
すみれ 店舗情報(新横浜ラーメン博物館)
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