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室町時代に食された「経帯麺」について

2017.07.13

これまで、ラーメンの歴史では、水戸黄門こと徳川光圀が最初に食べたとされていましたが、今回、それ以前にラーメンのルーツとなる中国の麺料理が室町時代に食べられていたことがわかりました。

中華麺の定義は「かん水」を使っているということです。「かん水」とはアルカリ塩水溶液で、小麦粉に混ぜることで、しなやかさとコシを出し、発色をよくします。 この中華麺がなんと室町時代に食べられていたという記述を、株式会社イナサワ商店 会長である稲澤敏行氏が資料を見つけ、この度リニューアルする展示で紹介する運びとなりました。

【経帯麪について】
裏付けとなる本は2つあります。①「蔭凉軒日録(いんりょうけんにちろく)」②「居家必要事類(きょかひつようじるい)」

【蔭凉軒日録について】
蔭凉軒日録とは、足利義満が相国寺鹿苑院内に設けられた蔭凉軒に住んでいた僧侶が記録した日記です。その日記に以下のことが記されています。

●1485年(文明17年)5月17日(昼の斎膳のよう)
私は『居家必用(居家必要事類)』を調べた。麺食品には、水滑麺・索麺・経帯麺・托掌麺・紅絲麺・翠縷麺などがある。

●1488年(長享2年)2月1日(昼の斎膳のよう)
永徳院春陽(景果)が対面に来た。勝定院桃源(瑞仙)老人も来たので、酒宴を開き、経帯麺を食べた。品の字のように車座になって座り、雑談して時を過ごした。

●1488年(長享2年)5月16日(「点心」おやつの感じ)
訪問していた相国寺長老横川を留め、着物を脱いで枕に伏し、茶を啜り、雑談した。経帯麺を拵え、勧めた。禁酒して、茶だけ飲んだ。與三に相伴させた。そのときの歌は数曲で終わった。茶で酒の代わりとした。

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【居家必要事類について】
book-06.jpg 居家必要事類は、中国で作られた書物で、中国の元王朝末期(1300年代半ば)頃に書かれたと言われ、衣食住にまつわる百科事典のようなものです。居家必要事類は、全20冊あり、13冊目が「飲食」にまつわることが書かれています。この居家必要事類を中国に渡った日本人がどこかのタイミングで持ち帰ったと言われております。

●経帯帯(はばひろ切麪)
一番篩いの白麪(粉質が細かくて白い良質の小麦)二斤当たり、碱(炭酸ソーダ)一両を細かに研って新しく汲んだ水でとき、麪に和わせて、あとで捍べるときに麪剤よりやや柔らかめに捏ねる。それを拗棒で百余回拗し、二時間ほどねかせて、また百余回拗す。そこれから(こんどは拗棒にまきつけて)ごく薄くなるまで捍べる。それを経帯(書物が巻物であった時に巻いてとめた平紐で、その平紐のように巾広に麺を切るのでこの名がある)のように切り、煮立った湯に下す。熟ったら冷水に入れて散らしすすぐ。かけ汁は任意である。
引用:中国の食譜(東洋文庫/1995年)

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